旭美展のご案内 ~いい絵を描いて、出品しよう~
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私が思うこと


 2019年1月より旭美術協会会員が、毎月1名、寄稿し、追記します。

私の想うこと (絵を描ける倖せ)        井口由多可 (旭美術協会会長)    

  昨年十月、一週間程、パリに滞在しました。今回の第一の目的は、アルフレッド・シスレーの絵を
観る事と、彼が住んでいたモレーシュールロワンという街を訪れる事でした。
  御存知の方も多いでしょうが、シスレーはパリ生まれの英国人で、モネ、マネ、ルノワールと
親交が在り、印象派の中でも最後まで自分のスタイルを変える事なく、風景画の殆んどを屋外で
仕上げた数少ない作家でした。特に空や水の描き方が生々しくて、空の作家、水の作家と云われて
います。
  パリに着いて二日目、印象派美術館は3、4時間待ちで入れず、オランジェリー美術館は
わずかに彼の作品は2点のみ。次の日、パリのリヨン駅から郊外電車に乗って一時間、モレー
シュールサブロン駅に到着、小さな街ですが、街中のいたるところに、彼が描いた絵の複製画が
飾られています。私も彼が描いたロワン河の辺りで2枚程簡単なスケッチをし、河沿いの小さな
レストランに入り、先程のデッサンを仕上げていると、流暢な英語でボーイさんが「日本人の
絵描きさん? 観光客は殆んど来ないけれど、世界中の絵描きが来て、大体同じ場所で
スケッチして行くね。中でも日本人が一番多いよ。シスレーはこの街を世界的に有名にした
けど、街には一枚も彼の絵が残っていないんだよ。なくなるまでづっと貧乏で、それでも900枚
もの絵を残したらしい。その彼の絵が現在一枚でも最低数億ユーロっていうんだから.....
  アンタは倖せな絵描きだね!」 
「え!? どうして?」と尋ねるたら「あんな遠い国からわざわざ絵を描きに来るんだから..」
  ガレットとワインで昼食を済ませ、先程のボーイさんに「シスレーの住んだ家とお墓を
教えてほしい。」とお願いしたら、気軽に地図にマークをつけてくれた。立派な3階建ての
家と小さなお墓でした。
 帰りの車窓に映る自分に「こんなに遠くまで絵を描きに来るなんて.....
   絵が描けるって倖せだなあー!!」 そんな複雑な心境の旅でした。




「失敗」で思うこと                   荒木達夫 (旭美術協会副会長)    

  私は作品づくりにあたり、毎回とても大事にしていることがあります。 それは、作品づくりの
過程で作品との「向い会う」時間です。 私は作品づくり時間の三分の一は筆を持たずにいます。
  そしていつも決まったように、「これはいかん」「失敗だ」とのひとり言です。 何十年の間、
繰り返しながら今日に至っています。 然し失敗することは「進歩の原点」だと自分に云い聞かせ
ながら自己実現を目指している今日です。 少し大袈裟かもしれないが、作品づくりにおける
私の信条です。
  さて、今日も天気は正に快晴、作品との向い会うのに最もよい日和です。
  



私の思うこと                     佐藤昭子 (旭美術協会事務局長)

  旭区文化芸術活動としての旭美展(公募)は、第28回を迎えます。 画題は自由ですが、今年は
旭区誕生50周年を記念して旭区の風景画を募集しています。
  ジャンルも油絵、水彩、アクリル、日本画、パステル、水墨画、版画を加え、多くの皆様の作品を
お願い致します。
    ・会 期  10月30日(水)~11月3日(日)
    ・搬 入  10月26日(土)10時~17時
    ・サイズ  6号~50号
    ・出品料  4,000円(2点まで) 高校生1,000円
    旭区民文化センター サンハート・ホール にて展示します。
  私は事務局として、多くの人に参加して頂きたいので、募集の原稿にしました。



私が思うこと (続けられる事への感謝)     赤阪宏美 (旭美術協会 会員)

 私と絵の出会いは子育てから手が離れた40代後半。 近くのカルチャーセンターの油絵教室が
スタートでした。 絵を描くより仲間との交流を楽しんでいたある時、旭美術協会の存在を知り
「友の会」に入会。その研究会に描き溜めた絵を持参したところ、辛口な講評に毎回落ち込みながら
帰宅した事を鮮明に覚えています。
   あれから四半世紀、未だめげずに続けている自分に感心するやら驚くやら…好きな事に夢中に
なっている私を支えてくれる家族、そして健康に感謝の日々です。



私の思うこと                      赤塚のぶ子 (旭美術協会 会員)

 趣味で始めた絵が、こんなに長く続くとは思っておりませんでした。
旭美展第1回から休まず出品できたのは、絵の仲間に恵まれたからです。
 初めの頃は近くの大池公園や街の風景などをスケッチしていましたが、だんだん佐渡など
遠くに行くようになりました。
 その後仲間の一人が山梨に移住し、スケッチに来ないかと誘いを受けたことから、毎年5~6人で
泊まりがけで行くようになりました。ご主人の案内で色々なところを見て回っていると、ふと眼に飛び込んできた
のが、青空のもとで、でんとそびえる甲斐駒ヶ岳でした。
それ以来甲斐駒ヶ岳を背景とした山村風景を描くようになったのです。
 最近はみな歳を重ね、山梨へでかけてのスケッチは難しくなりました。
それでも今も甲斐駒ヶ岳を描き続けて続けており、 私にとって絵は心の拠り所です。



私が思うこと                      岩﨑八重子 (旭美術協会 会員) 

 わたしがワラボッチ(積みワラ)に出会えたのは30年前です。 始めて主人の従兄に油絵を教えて
頂き、三浦三崎のワラボッチを描きました。 それから16年前頃から千葉県の鋸南町の水仙ロードに
スケッチ旅行に行くようになり水仙を前景に描き続けてきました。
 サンハートの館長さんが、ワラボッチの岩﨑さん・・・なんて、気軽に話しかけて下さるし、旭美に
会えて友達もたくさん出来て、とてもよい機会にめぐり会えたこと、うれしく毎日を過ごしております。



絵の制作で悩むこと                  植村律子 (旭美術協会 会員) 

  絵を制作する過程で、私が一番悩むのは最後にサインを入れる時です。 多くは、展覧会の
搬入日の前とかですが、「果して、これで出していいのか、サインできる状態なのか」と自分に問う
と、殆んどの場合、答えは「まだ」です。 でも結局いつも、無理に自分を納得させて出品し、展覧
会場で自分の絵の前に立った時、何とも言えない恥ずかしさを覚えるのです。 どうして納得する
まで描かないのかと思うのですが、結局いい加減なところで「まあ、いいか」と安易に妥協して
しまっているのでしょう。 納得できない箇所があったら、大きく壊してでも、やり直す勇気を
持たなければいけないのだと思います。 そうすれば、自信を持ってサインし、出品できると思う
のですが、これはなかなか難しい事です。だから、いつも同じ事を繰返してしまうのでしょう。



ブナを描く                         内山徳行 (旭美術協会 会員)

 油絵を描き出して35年ほどで、当初は廃屋、廃船など木材が朽ちていくさまを描いていました。
職場のわきの貯木場で樹木そのものの姿におもいをはせ、登山の道で出会った“ブナ”に取りつかれる
ようになりました。
 ブナという木は日本の風土に合い、水が大量に必要な稲作を支え、ブナ帯文化といわれます。
特に日本海側に多く見られ、私も歩きまわりました。 これからも追いかけて描き続けたいと思っています。



「未病」                           江藤俊輔 (旭美術協会 会員)

 先日、横浜ベイスターズの三浦大輔投手コーチが、黒岩知事から「未病番長」に任命された記事を
読んだ。健康と病気の間を「未病」と言うらしい。
 試合中、ピンチになると「大ちゃん」がマウンドにやって来て、打者の「討ち取り方」をアドバイス
している。これが「未病」だと思った。 この後、アウトを取れば球場全体に歓声が響き「健康」状態
が続く。 反対にホームランを打たれたりしたら、投手もチームも応援団も力が抜けて「病気」に
でもなったような雰囲気に包まれてしまうからだ。
 私は年々、体力が続かなくなったように感じている。 F50号を2ヶ月ぐらいかけても平気だった
のに、F20号でも休み休みしながら描いている。 そこで、新しい題材を探して歩いたり画材を工夫
したり、「変化球」を使って興味・関心・意欲を喚起・持続させようと考えて、日々走り
回っている。
   これが私の「未病」対策かもしれない。



ひまわりを想う                       遠藤照美 (旭美術協会 会員)

 早朝の庭に咲く大輪のひまわり。小五の夏休み。急にスケッチをしたくなり描いたその絵が、映画
ドラマの壁の装飾として出演したことがあった。これがひまわりへの最初の関わりだったと思う。
 毎年夏になると、一面に咲くひまわり畑に向かう。背筋を伸ばし力強く咲くひまわりは、戦争後の
荒れ地に、震災後の地に希望、元気、勇気を与えてくれた。正に太陽の花。いつしか絵にして見たい
と漠然と思っていた。
 数十年を経てカンヴァスに向かう機会が訪れ、脳の片隅に眠っていたひまわりへの感情が甦って
来た。 とは言ったものの頭には描くが表現する画力無くいつしか逃れることばかり考える日々。
 しかし夏から秋へと向かう時、カサカサに枯れた葉が幹を包み、下の葉が大地を掴み痩せた体の
杖となり、頭には黒い種を顔一杯に宿らせ重さに堪え忍び大地を見つめる姿に息を呑んだ。
衝撃的な感動を覚えた。二たびこの感動をカンヴァスに留めたいと、それ以来苦戦を続けている。
 日々エネルギーが目減り感動の中味も時と共に変わる。咲く姿から枯れた姿そして見事に並び
そろう種へと。
 刈り採られ地に横たわるひまわり。その顔には大きい物で二千から三千の種を宿すと言う。
フィボナッチの数列で出来るだけ多く、又美しく次の生命を宿す。正に黄金比。三たび描きたい
と思う。
 この機会を頂き絵を描く根源はひまわりかと改めて実感した。
 忙しい日々。いろんな方の協力を得て今を描ける。幸せだと思う。感謝です。



いい絵を描こう!                    奥田胤明 (旭美術協会 会員)

 いい絵とは何だろう。 ジャンルによらず、人に感動を与える絵だと思う。 それには、先ず自分が
感動を覚える画像を創造しなければならない。 風景は、常に観察し気に入った構図を見つけることが
必要です。子供の頃、ガスや石油コンロが普及する前には、冬の間に一年分の燃料を確保するため、
山地を下刈りして集め、枯れた太い木は切り倒して薪割りしておかなければならなかった。 松林に
サラサラと落ちて積もった枯れ葉は、集めて、焚き付けとして便利に利用した。 コナラの林の若葉
は、初夏の風に輝いて誠に美しかった。 木のある風景が好きなのです。 過伐採のない自然な枝振り
の木が好きなのです。 高い梢を吹き渡る風の音まで描き現したい気持ちなのです。 静物でも感動を
覚える構図を創らねばならない。 明暗のバランスには、照明が一番大切です。 感動できる絵は、
「早く起きて来て描いてくれ!」と呼んでくれるのです。 これからも、感動できる絵が描けるよう
心懸けようと思う。
  今年も、もうすぐ旭美展だ。 多くのいい絵に出会えることを楽しみにしている。



私の思うこと(農村の原風景を描く)           近藤壽夫 (旭美術協会 会員)

 私のスケッチポイントは越後妻有郷(つまりごう)(十日町市、高柳町、松の山町付近の田舎で)
日本の原風景ともいわれる豊かな自然が残るところです。

 高柳町には萩の島環状茅葺き古民家が田畑、川、林に囲まれ、又周囲には棚田百選に選ばれた
松代があり棚田のスポットとしても人気があります。

 もう一つは自分が探したポイントです。
この周辺は昔から農業が盛んで、田麦、小麦平、熊田、牛の鼻という珍しい地名があります。
どの集落でも住民の高齢化、過疎化が近年激しいスピードで進んでいて茅葺き民家も僅かに
なっています。一方、懐かしいふるさとの自然はそれなりに残っています。

 私は農村の原風景と茅葺き民家を通して、住んでいる人達の暮しも描いていますが、
旭美展を観にこられた
人達に心の癒やしと、安らぎを感じてもらえたらうれしく思います。



「振り返ってみると」                近藤 ヨシ子 (旭美術協会 会員)

 私は、小学生の時から描くことが好きでした。クレヨンから始まって水彩そして高校生の時初めて
油絵の道具を買うことが出来ました。美術の先生に放課後見ていただきました。
 その後、喫茶店の奥の畳の部屋を借りて人物デッサン会が毎週開かれており参加しておりました。
その会の名前は「ぴいぷる」と言いました。仲間たちに刺激を受け 人物って面白い、でも難しいと
思いました。
 そして、集団の中の子供たち、その傍らで立ちすくむ子供の表情など 群像に魅力を感じて
いきました。子供の顔のメモをとっていたものでした。
 その後のデッサンまたはクロッキーはいろいろなところへ出かけ、特に楽器を演奏している場面
でのデッサンは朝9時から午後4時までというスケジュールで肩や腕はガチガチになったものです。
 オーストラリアへ旅行の際は必ず紙と鉛筆など持参してアートスクールへ通い、また文具店で
夜開かれるデッサン会にも参加して描いたものです。そんな中で何回か顔を合わせているとその時
開かれている市民の展覧会をおしえてくれたりしたものです。
 これからも許される限り「好奇心旺盛」でいたいと思います。



私の思うこと(絵と私)             斎藤郁子 (旭美術協会 会員)  

 絵を描いてみたいな!と思って横浜市の絵画教室に応募したのが25年以上も前で、小学校以来の
お絵描きでした。モチーフは花 人形 石膏などなど。何もかも難しかったのですが、その中で
モデルさんがきてくださる人物画に心が引かれて描いてみたいと思いました。
 その後、偶然にも出会った人物画を大きな美術団体に出品されている方のお陰で、あちこちの
人物デッサン会に誘って頂いたり、多くの展覧会にも行き素敵な絵に出会ったときの感動も知ることが
出来ました。
 それから何年!何年経っても描くのは難しく、どうしたら良いか分からず苦しんだり諦めたりです。
ただ 絵を描くという一生懸命になれることがあるのは幸せで、介護などで気持ちが辛くなった時の
寄りどころにもなっています。
 体力もなくなり、あと何年描けるかわかりませんがもう少し頑張りたいと思っています。



「私が思うこと」                    佐野宜子 (旭美術協会 会員)

 絵を描くことは幼少の頃から好きでした。
美大受験を目指していた高校3年生の時
占師に「この子は 夫に若くして死別する」と予言され
両親の心配を考慮し 看護婦の道を選択しました。
 時を経 2人の子供に恵まれ幸せな結婚生活の最中
48才で夫は突然死 忘れていた予言の的中したことに驚がくしました。
看護婦として働き定年退職し、小さい頃からの夢であった絵を描くことに
専念できるようになりました。 現在二科会友 旭美会員です。
大作は コンテンポラリーの群像を描いています。
「人体の形態にとらわれず、画面を踊らせる」をどう表現するか 試行錯誤の日々です。
アトリエが二階なので作品搬入時自力で階段を作品移動する為 体力作りも欠かせません。
 地元の旭美展では同じ好きなことを極める仲間との交流は 人生の宝です。
      原稿の添え書きに、
、        「新型コロナウィルスの感染が拡大している時・・・・ 。
        しかし、梅が咲き、桜・・・ と、春が目の前です。元気で頑張りましょう。」と。



「私が思うこと」                高須賀ヒサヨ (旭美術協会 会員)

 油絵を画く思いがけない人生が始まったのは四十五才の時、近くの友人が家に遊びに来る様声がけ
してくれたので、出向いてみると花瓶にいけたヒマワリを描いていた。私に「これはキャンバス、
どれでも使って。」と云われて、三十号を選び初めての油絵具をつけてベタベタと描き気持ち良
かった・・・。友人はこんなに大胆に描ける・・・・ 私に、行ってる教室に案内すると・・・齋藤画塾に
連れてってくれた。絵の具や道具を揃えてかき始めた。友達はハマ展に出す・・・・と五十号にあじ
さいを画いていた。何も知らない私は友達と一緒にハマ展とやらに出してみたいと先生に申し上
げると今まで(三ヶ月間)に画いた五枚全部出してみようとの事。すると三十号のヒマワリが入選
との通知が届きびっくり!!。そのヒマワリは自宅の隣の空地に三本茶色くなっているのが気に
入って三十号に描いた。教室に持って行くと先生が「ここにぼろぞうきんの様な葉を
かいたらー。」と云われ、その葉が出来て「良かった」と感じていた。初めてのハマ展で恥ず
かしく、さっと通り会場に・・・・。小さいので会員の部屋(会員は三十号までだった)に毎日々々
見に行った。
次からはハマ展目標に外に出歩いて弥生台が山をけずり宅地造成をやってる所で、ヒナ段の宅地が
出来てる土の色が気に入り「造成路」を描き出品して入賞した。以来、天気良ければ弁当持って
外歩き、キャンバスは半分に折りたたみ持歩く。夫と行った小田原の大雄山に、一番のバスで
登り終バスで帰り乍ら参道の杉林をかく。その内、お店に預かって貰い通った。その作品も受賞。
次は家族で登った富士山を百号にかく。入選したが賞はつかなかった。その次は木の囲り
七メートルの大木に出逢って正面からかいて受賞しハマ展の会員となる。その後は上野の写実
画壇の会員として大作を発表!!。
  絵の虜になり夫も初めはブツブツ云う事もあったが、懸命にやってる私を見て全面的に応援して
くれた。夫が「仙台の瑞巌寺にある臥竜梅(樹齢四百年以上とか)を新幹線で行き観て来なさい。」
とすすめて呉れた。
  一日中寺で紅梅白梅のスケッチし満足して帰り大作にし今も時々描いている。銀座で四回テーマを
持って大作ばかりの個展を行うことが出来た。私が絵の虜になり、初めはブツブツ云う事も
あったが、懸命にやってる私を観て全面的に応援してくれた。学生時代の友達も手を貸して
くれた。この先も自分なりの絵を描き続けられると嬉しい限りで、思いがけない人生を送って
来られた事に感謝しています。師、齋藤先生から「絵は心」と教えられた・・・・・。
果たして今の自分に出来てるだろうか・・・。
旭美展は絵の仲間が沢山出来て、この先元気で続けられると本当に幸せな人生と思っている、
又願っています。



「私が思うこと」                     富塚 泉 (旭美術協会 会員)

  絵を習い始めの頃、毎回静物デッサンばかりで、早く自分の描きたい絵を描きたいと思った
ものだ。それは旅した欧州の風景だ。それは今でも変わることはない。古びた街並みの古びた建物の壁
にその歴史と人々の生活を表現できればと、悪戦苦闘している。楽しみで始めた油彩のはずが、
いまでは苦しみとなっている。

  ここ数年の出展作としては、モロッコのカスバを題材に描いている。アラブの雰囲気漂うサハラ
砂漠の砂で作った日干し煉瓦の要塞の街だ。かつてそこに住んでいた人たちに思いを馳せながら描き
続けているうちにだんだんと現実とは離れていく。ふと自分は嘘を描いているのでは?と思えてきた。
そこで昨年再び現地を訪ねてみた。
  ところが、夢にまでみた私のカスバは、リニューアルされており まるで映画のセットのよう
だった。遠路再訪したのがよかったかどうかわからないが、私は私の「悠久のカスバ」を描こうと思う
に至った。

  コロナウィルスに感染しないよう巣ごもりの今、改めて絵画の本を読みなおし、デッサンや模写
などをして過ごしている。そしてコロナが収束した暁には、青空の下へスケッチに出かけたい。



 自然への畏敬と賛美                  原田守啓 (旭美術協会 会員)

 コロナウィルス禍に直面し、世界中の人々が衝撃を受け、多くの死者が出ている。
生活様式さえ大きく変わろうとしている。
 太古の昔から人類は疫病との戦いの歴史であり、今回のコロナ禍もその繰り返しのひとこまに過ぎ
なく、将来も又繰り返されよう。
 ウィルスの蔓延は自然の猛威のひとつであり、改めて自然の凄さを知らされたのである。
人間は万物の霊長などと云って思い上がっているが、かつて恐竜が絶滅したようにやがて人類も自然の
猛威により絶滅するかも知れない。
 自然の絶大さ不思議さは測り知れないものがある。人間の科学が発達したとは云え、明日の天気 ひとつ変えることさえ出来ない人間の力など微々たるものと思わざるを得ない。
 自然は畏れ多いものであるが、一方で讃歎すべき深遠な美を呈示してくれる。自然を見つめ、感動し、
自然に学び、感謝する心、これが写生画、具象画の精神であろう。
 シュールの巨匠であったジャコメッティーは、抽象は頭脳による限界があり、自然の神秘、創造には
及ばないと悟り、見えるものを見えるようにとらえようと具象に転向した。
 私は子供の頃から蝶の愛好者であるが、自然の造形美に魅了され、時々夢にまで見る。
又、人の造形物に、光や大気による自然の経年作用が加わり、得も云われぬ美が創造される。
例えばそんな建造物などに出合った時、私は絵筆をとる衝撃にかられる。



 私の想い                      平田與二 (旭美術協会 会員)

 絵を描いてみたい契機になったのは30年以上前、NHK教育TVで放映された「趣味講座油絵入門」
だった。絵の基本はデッサン力であるというので、週末は絵画教室に通って受験生に交じって、
石膏デッサン、クロッキを無心になって描いた。油絵を始めたのは5,6年後、はじめての屋外
写生会は三浦半島宮川湾だったが、油絵具の泥仕合、悪戦苦闘の末の見事な失敗作だった。
千変万化の自然の色と対決するわけだから、絵具の混ぜ合わせは、何枚も失敗を重ね試行錯誤し
ながら身体で覚える以外に方法はないと教わった。
 旭美展の出会いは第8回展だったと思う。25年前に引っ越してきて初めて観る公募展、旭美を
指導している先生は、地元のハマ展、中央画壇/美術団体で活躍している多くの著名な作家に驚き
で、恵まれた文化地区に導いていただいた神に感謝です。
 旭美の作品は、足尾銅山の「廃墟」に取り組んでいる。初めて足尾銅山を訪れた時の衝動は忘
れられない。精錬所に延びる引込線の赤錆びたレール、信号機、駅舎、工場廃墟に魅せられ、
毎年雪の多い真冬をねらって約10年間取材してきた。6年前、精錬所の建物のほとんどが解体
された。又一つ歴史産業遺産が消されてしまったのが残念でならない。
 今後も歴史のある建物、時代の波に追いやられ風化してゆくものに美を探り求めていきたいと
考えています。



「旭美術協会設立を思い返す」             深津美南子 (旭美術協会 会員)

  思い返せば、いつの間にか、かれこれ三十年近い年月が過ぎていました。この会を立ち上げた頃の
会員も、今は数人しか、残っていない。亡くなられた方、退会された方、皆立派な先生方でした。
 旭区役所の当時の文化振興課の方からの依頼もあったと思います。美術(油絵・書・他)がありました。
最初は、サンハートのギャラリーで会員だけの美術展を、二年間やり、その頃から公募展を開いたらと
言う話が出て、それを実行する事になった。区の方からも援助金が、かなり出してもらえてたと思う。
 どのくらいの人が応募して来るか全くわからなかった。でも、思ったより多くの方が出品して下さい
ました。当時は、作品も小さい作品が多く、今から思い出してみると、現在の出品作品に比べると、
絵の評価は、かなり低かったと思います。
しかし、毎年々々少しずつ実力も上がってきて最近は素晴らしい作品が多く見られるようになって
きました。そして、作品も大きな物がたくさん出展される今日、本当にこの美術展が地域の文化発展に
大きく貢献してきたことに、創立会員として、この上ない喜びを感じます。
 三十年と云う年月は、皆、それだけ歳を取り、会員も出品者も、「高齢化」という事実からは逃げら
れません。従って、年々出品者も減ってきている今日、いつまで開催できるのだろうと心配して
います。そして私自身もいつ迄、描けるのだろうと不安もあります。
 今年は、特に、新型コロナウィルスの事で、十月末の開催もどうなるか・・・・・・。
できるだけこの美術展は、存続させていけたら良いと願っています。 東京の方の大きな美術展に出展
するのは、なかなか大変だから、せめて地域の中で、できるだけ多くの人が、絵を描く事への情熱を
持ち続けられるように、協力して行ける事を、願っております。



 私が思うこと                    松下久子 (旭美術協会 会員)

 絵画への強い憧れを持ちながらためらってしまった私を勇気づけてくださったのが二人の
恩師である。
 NTTの本社が虎の門にあり、私は英文タイピストとして勤務していた。サークルの絵を
指導されたのが島村三七雄先生で、デッサン、クロッキー油絵を描き始めた、十月会とゆう
会は今も続いている。先生のアトリエは谷中にあり私の実家から徒歩20分の所であった。
フランスでベルナールに師事され、クリムトにも会っているとのことで、晩年に芸大の教授
になられた。著書に (油絵入門) があり文中に クッペする との文言があって質問した
ところ、実技指導しますとのお葉書をいただいたのを今も大切に持っている。NTTの機関紙の
表紙の原画を戴きに伺った。絵は先生の真鶴のアトリエから眺めた風景であった。
 結婚して横浜に移り、子育てが終ってから二紀会の理事、松井叔生先生の北鎌倉のアトリエ
へ24年通った。二紀展出品を勧めてくださり、連続出品で39年になる。S100号又はF130号
を毎年2枚描くが入選当初は5枚描くこともあった。今年はコロナの影響で神奈川二紀展と併せ
て中止となっている。先生は娘の典子をモデルにして背景に姫路城、ピサの斜塔、水辺などの
作品をたくさん描かれた。平成19年1月真鶴へスケッチに行かれ、帰りの電車の中で急逝され
たのだった。二紀展の会場が国立新美術館に移った時には遺作として、ミモザの前に立つ典子の
像が出品されて本当に驚いた。こうして真鶴は忘れられない場所になっている。
 私にとって絵の道は複雑で厳しい道ではあったけれど、出会った人々は魅力的で沢山のものを
与えてくださった。コロナの暗い閉塞感の中でも、思い起こすと豊な気持ちになれるのは本当に
幸せな事と痛感している。



戦後75年の今、私思うこと               宮崎基子 (旭美術協会 会員)

 私が思う、戦後75年、これからも忘れることはないと思う。
 私は、愛知県岡崎で生まれ、高校を卒業するまで岡崎で過ごし、その後名古屋の専門学校で学んだ。
私の祖母と叔母達(当時15才と12才)と叔父(当時9才)は、深川に住んでいて東京大空襲に遭い、
防空壕が爆撃を受け、大切な4人が壕の中で死亡した。また、父方の叔父は、軍艦に乗っていて、
攻撃され海底に消えた。主人の兄は、場所が知らされないまま、戦死と、遺骨もなく、紙一枚で
通知された。当時雑貨卸を商っていた我が家も爆撃で焼失した。
 私の専門学校時代の友は、広島で被爆している。焼けただれた母を背に、弟の手を引いて歩いたが
二人とも死んでしまったと話してくれた。「又、逢おうね。」と、原水禁のデモの列に入って行って
しまった。現在、90才位だけどお元気だろうか? (これが私の青春です。)

 忘れることは出来ないと思うけど、過去の事は、過ぎた事として、今、この時に集中して生きて
行こうと思っています。 旭美展が、コロナウィルスの為に中止になったが、第1回から出品している
ので、次の展覧会に向かって、まだ、出合ったことのない自分の絵の発見を楽しみたい。
私も84才だ、残りの毎日をじたばたしないで、ワクワクして過ごしたいと思っている。
  
 これまで誰にも話した事のない戦中、戦後の我が身に降りかかった出来事を、ほんの一部ながら
初めて文章にした。自分の書いた文章ながら読み返すと、記憶画像が鮮明に湧き上がって来て
涙が止まらない。
                                  令和2年8月16日



私の思うこと                      吉野敦子 (旭美術協会 会員)

 二俣川駅の近くの喫茶店フェニックスに、夕方40代50代の画家がおよそ10人集まってい
ました。今から30年前のことです。旭区に住む画家達でグループ展をしませんか?という鈴木先生
と齋藤先生の呼びかけでした。示現会の樋口先生、深津さん、太平洋の鈴木先生、杉澤さん、
写実画壇の齋藤先生、高須賀さん、無所属の石川先生、二紀会の中村先生、吉野、国画会の方2名が
初めだったように覚えています。
希望に満ちた真剣な話し合いのあとはいつも、フェニックスに近い二俣川銀座のスナックをはしご
して、夜も更けて親睦は深まって行きました。3回4回と会合を重ねて、詳細が決まっていき、
始めの展覧会は会員だけの展示でした。
 その後、旭区の後援があって、大きな会場で、大勢の素晴らしい画家の出品する展覧会になり、
公募展となり様々な賞が後援者から出され、華やかな行事になりました。
 夢のようなあの日は遠く、会の発案者の鈴木先生、齋藤先生、藁屋根の日本家屋の風景画家
石川さんが亡くなられ、この会に貢献なさった多くの画家の方々も逝去され、今年初夏には巨星、
樋口先生があちらの世界へ旅立たれました。
 更に1月から始まったコロナ感染の為に、こんなに永く続いてきた展覧会は今年は中止になって
しまいました。この災禍が終息して、普通の日々に戻っての再開を願うばかりです。
 ちょうど100年前1920年にコロナと酷似のスペイン風邪で日本でも約38万人もの死者が
出る災禍に見舞われたと記録にありますがそれものりこえ、約75年前1945年に終焉した第二次
世界大戦禍も乗り越えて、つい去年まで平和を謳歌して、オリンピックを東京で予定するまでに
なってましたのに。
 展覧会や、様々なジャンルの演劇や音楽ライブを上演したり、旅行したり、スポーツ観戦や
各種会合を企画したり楽しんだり、学生が学校で普通に学べる、そんな平和な日々がまた来る事を
思ってコロナ禍の1日も早い終焉を祈っています。

                                     2020.9.1



私の思うこと                      宮田宣男 (旭美術協会 会員)

80歳記念として個展をコロナ過の中ですが、開催をいたしました。お陰様で、多く
の方に来館して頂き問題なく終えることができました。
故郷は群馬県赤城山の南面(なんめん)山麓です。絵を描くことが好きで、高校の美術
部に入り初めて油彩画のセットを買ってもらいました。近くの山川、田畑を描き他校
との合同展で競い合いました。社会人になって日々が多忙で描く暇もなく、定年後、
老後の趣味の一つとしてカルチャーセンターで習い始めました。
それから10年となり沢山の方と知り合いになり、愉しみながら、暇な時に絵を描いて
おります。年に数回はスケッチ旅行してその土地、土地の景色に触れ風景を描き、酒
肴を楽しんだりしています。
今や人生100歳と言われます、人生の総仕上げとして長い老後をどの様に過ごせる
か思案する所ですが、私としては現役時代出来なかった、絵を描くことに喜びを感
じ、感謝しております。



私の思うこと                      井口由多可 (旭美術協会 会長)

 2020年もあと残すところ2ヶ月です。今年はコロナウィルス騒ぎで予定していた
個展も来年3月まで全てキャンセル。来年で画業50周年を迎える私にとって一年以上
〆切がない生活は初めてで、それならば長年温めていた計画を実行しようと・・・・・。
それは40回近くヨーロッパの街や村を取材しながら現場でスケッチする事は一日
数枚程度、大半はカメラで撮影して写真に残すだけ。その写真の数が余りにも多く
なりすぎて、これを整理するのに一苦労。2ヶ月近くかかってやっとその整理が終わり、
今度はその写真から最低でも一都市一枚はデッサンに残すことと自分にいい聞かせ、
9月から4号大のスケッチブックに現在のところ150枚が完成、鉛筆だけのデッサンだが、
これがやってみると毎日楽しくあっという間に数時間が過ぎてしまい、就寝前に
ヨーロッパ地図を拡げてその都市に赤丸をつけるのが日課になってしまった。
毎日ヨーロッパを取材している様で、500枚近くなったら、その中から気に入った
デッサンに水彩で色をつけ画集も作り、水彩画だけの個展を開くこと、夢は段々
大きくなって・・・・。コロナ禍のおかげでこんな仕事が出来るなんて、自分はラッキー
だなと思っている次第です。
 「私が思うこと」は会員から始めて2年近くなり次回からは会友の方々に執筆して
頂くことになりました。



「私が思うこと」                     伊藤幸二 (旭美術協会 会員)

 私が「絵」を描き続けようと決めたのは、大きなビルの解体工事現場に遭遇したこ
とが、きっかけでした。
 その解体中のビルの姿は、あまりにも無残な姿をさらけ出していました。内装、外
装も剥がされ、鉄骨がむき出しとなり、これから床を壊し、鉄骨の解体が始まるので
しょう。
 現役のころ、建造物を造ることには、真剣に取り組んでいましたが、ものを壊すこと
は、あまり気にかけてこなかったように思います。この解体されるビルに、なぜ惹かれ
たか、その時はよく解りませんでしたが、家に帰り、この「解体されるビルの絵」の制
作に取り掛かってから、始めて「解体されるものの美しさ」「壊されていくものの哀れ
さ」に惹かれたことに気がつきました。
 「枯れたものの美しさの世界」は、よく見聞きします。建造物にも命があるように思
います。ひとつの役割を終え、又ひとつの建物に生まれかわる。このプロセスのすべ
てに美しさがあると思います。解体現場に魅了されたこの思いが、今でも鮮明に残って
おります。


開始より約2年、会員の寄稿がほぼ一巡しました。2021年1月より会友の参加が始まります。


 後悔先に立たず                    荒川眞里子 (旭美術協会 会友)

 明けましておめでとうございます
 今年もよろしくお願いいたします
 先日、私には少しショックなことがありました。それは、タウンニュース紙に載っていた
『さちが丘の蔵さくらが伐採された』という記事です。
 この桜の大木には、数年前散歩の途中に出会い、「りっぱな木だなあ。枝振りもかっこいい。
心が落ち着く・・・大きく描いたらおもしろそうだな・・・」なんて、勝手に癒やされていたのです。
花の季節に行くと、うっすらピンクの花がきれいでした。
 でも住宅地にぽつんと1本。周りの木は皆切り倒されていて、空き地とはいえ鉄線で囲って
ありましたので、そのうち切られてしまうのだろうなあと思っていました。
 今年はお供の飼い犬が亡くなって散歩がおっくうになり、コロナ騒ぎで花見も行き損ねたと
思っていたところにこの記事・・・
 ああ残念!もうあのゆったりした樹影を見ることはできないのです。無精しないで見に行って
いればよかったのに・・・。たいした距離じゃないんだから!仕方ないことですが、しみじみ寂しい
です。
 こうして、後悔先に立たずと思う事柄がまた一つできてしまいました。
 新型コロナ禍のなか、皆様どうぞご自愛ください。
           



「私が思うこと」                     宇塚雄輔 (旭美術協会 会友)

 近年やたらと耳にする「人生100年時代」と
言われている高齢者へのメッセイジは、昭和一桁
生まれの私もその一員として自分の生きざまを考えている。
人はそれぞれ、生きぬく傍ら何らかの趣味をお持ち
であろうが、私も好奇心と趣味を合わせて絵画を
始め、自然を求めて旅やクラシック音楽、登山、
スポーツ、などなど、高齢化の昨今こそその行動
は控えめであるが、中でも絵画と音楽は今でも
健在で長続きしている。
 郊外で自然の中でキャンバスに向かう行動は高齢を
ささえる原動力になっているかも知れない。
何より信頼できる自然との付合は本当の友達で
有る様に思える。
 郊外に出掛けて好きな事をやる、上手、下手は問題
ぢゃない、行動する事が大事ぢゃないだろうか。
自然を求めて写生に出掛けたり、知らない街の歴史を
たどる旅に出たり、心をいやす名曲に耳を傾け、時を
忘れて没頭する、こんな事が元気にすごせる力になって
いるかも知れない。いわゆる自遊人なのである、と
最近時々思っています。



「スケッチ旅行のこと」                 北村時夫 (旭美術協会 会友)

 仕事が終わり、趣味の絵、水彩画を描く楽し
みに切り替えてから、20年以上になる。
あくまでも趣味である! どんなに楽しいも
のになったか?あきずに続いているものだ。

旅も趣味になるか?この旅と絵、水彩画が一
緒に楽しめる「スケッチ旅行」は、これは人
生この上ない至福のものになった。

私の田舎、故郷は信州、長野の北信である。
四季折々のすばらしい事を都会に出てきて、
改めて感じている。スケッチの伴う旅となる
と信州が多くなった。
『春』遅い春を迎える新緑の上高地、花々
が一遍に咲き揃う田園風景の安曇野、残雪の
北アルプス、そして白馬三山、北信五岳の妙
高、戸隠。蓼科、八ヶ岳。
『秋』黄金の波、のどかな秋の盛り安曇野、
紅葉深まる白馬三山、栂池高原、仁科3湖の
水面に映る秋色、晩秋の紅葉、冠雪景上高地、
そして北アルプスの美しさ。
信州讃歌、四季を通じて変化のある自然、
スケッチ帳に絵筆が動き出す。
信州はいつまでも、あこがれの風景地、懐し
い郷愁を覚える。
絵の友とスケッチ、そして絵談義で沸く温泉
の夜、スケッチ旅行の醍醐味だ。
一緒に楽しんだ友も一人、二人と去り、そして
残った私も友も足が動かなくなって来た。
残念で寂しい限りである。

しかし気軽に、絵は近くの大池公園でのスケ
ッチでも楽しめる。絵を描く事の楽しみを持
ち続けて、あと何年、陽の光にかがやく色を
求めて、旅とスケッチに出掛けられるか!
出来ることなら健康な身体でもっと楽しみた
いものだ。



「私の思うこと」                   久保田紀子 (旭美術協会 会友)

 私が絵を始めたきっかけは、亡き夫の友人
による言葉からでした。
夫は絵を描くのがとても上手だったそうです。
私は夫が学生時代に絵を描いていたことは全
く知りませんでした。
 その言葉を聞いて、学校の授業以外で絵を
描いた事がなかったのですが、自分の時間が
できたこともあり、私も取り組んでみたいと
思いました。
 夫はどんな絵を描いていたのかと考えなが
ら、絵を始めて一年が過ぎた頃、旭区の
広報誌で旭美術協会の講評会が開かれる事を
知りました。
 その時に講評をしていただいた先生の個展
へ赴き大変感銘を受けご指導をいただくこと
になりました。
 時間をつくっては、題材を探し川崎のコン
ビナート地帯へ頻繁に出かけています。
 コンビナートの大きさに感動を受け、エネ
ルギーを貰いました。
 これからも新しい発見と楽しみを見つけな
がら続けていきたいと思っています。



「私は透明水彩に魅せられた !!」            香田美和 (旭美術協会 会友)

 齢90歳無事に暮らしている!何でだろう?
がむしゃらに企業人?工業デザイン・広告宣伝に関わり40年。でも周囲を見る余裕なかったなぁー!
 68歳で解き放たれたとき、刺激いっぱいくれた友が、プランナーとして激務をこなしながらも、
アトリエを構え漆芸の道続け、作家デビューしていたことを知った。またカヌーを操り世界の急流で
転覆しまくっていたことも。仕事では見せなかった彼のマルチな生きざまをうらやましく思った!
 旅に出たのはそれがきっかけかも?
そうだ地中海沿岸に行こう!
白い壁・赤い屋根、眩しい日差し・澄んだ空気、ゆとり楽しむ人々をみたいと!
 眩しい風景を書きとどめたいと、スケッチブックを持ち歩くようになった!旅先から送る淡彩画
ポストカードが意外に受けた。楽しくなった!

  地中海沿岸スケッチツアーに毎年出かけるうちに、2010年[右近とし子先生と描くコルシカ島]
出会った!そして先生の捉える風景に魅せられた!今まで見てきた日本の画家のものとは違っていた
ことに!それは光を空気を魅力的に活かしパッションで描く海外の画家たちのものだった!!私の透明
水彩リスタートはこれが転機だった!
 以後右近先生にご指導いただき今の私がある。感謝 ‼ 

現場で描いてきた私には大作への道は険しい!旭美の先生方のご指導と励ましに感謝 ‼



「旭美術協会との出会い」                 白井佳郎 (旭美術協会 会友)

 ある日、旭区公会堂のロビーで「馬場暮色」という油絵を見て感動。作者は樋口 洋とあり、
いつ頃の人だろうか、何処の人かと思いながら記憶に留めていました。
 暫くして、旭美展を知り何気なく鑑賞していたら、その方の名前を目にしました。
受付で横溝さんという方の説明により、旭美術友の会の事を紹介され入会しました。
そして始めての研究会で、何とその樋口先生が!  驚きと共に嬉しくなりました。
 この研究会は、様々なジャンルの先生方のご指導と参加者の真剣な姿が素晴らしく、
拙い私の絵も樋口先生に直接ご指導いただく事が出来、不思議な気持ちでした。
自信のない絵で迷い悩んでいたことを、実に適切にご指導下さり、本当にその通りだと目が覚める
思いでした。さらに作画意欲が増したのを覚えてます。
 時には「僕もね、師匠から言われたことは、忘れないように必ずメモをとつて思索したんです」と
ご自分の体験を語って下さる誠実さに襟を正す思いでした。
 又、ある日北海道へ旅行した時、函館の海鮮食堂の奥に樋口先生の絵が飾ってあり、お店の方
と楽しい会話が弾み誇らしい気分がなつかしく思い出されます。
 又、2012年の日展で樋口先生の作品「白い函館」が内閣総理大臣賞を受賞、鑑賞後美術館
のエスカレーターで、偶然お会いし喜びのご挨拶をさせて頂けた事が思い出されます。
 又、ある日鎌倉で村田省蔵展が開催され、夫婦で鑑賞した帰りに鎌倉駅前のコーヒー店で偶然
にも樋口先生にお会いしご挨拶させて頂けました。先生も村田省蔵展の帰りですと仰っていました。

 思えば、いつも不思議なご縁と感じつつ、あの獅子王の様な凛とした風格の、強さと優しさで
ご教示下さり、勇気と希望を与えて下さいました。
 昨年、2020年11月国立新美術館での日展にて、樋口先生と村田省蔵氏のお名前に喪章の
付いた作品を拝見し感慨の深い思いでした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
と同時に感謝と決意を込めて、私自身少しでも精進して、絵を描く至福の人生を、楽しんで行き
たいと思います。
 2021.5.1



「私が思うこと」                     高橋洋一 (旭美術協会 会友)

 思い起こすと第1回東京オリンピックは1940年の予定でしたが、幻の大会となりました、
わたくしの生まれた年です。第2回東京オリンピックは私が社会人1年目の年で思い出深いものがあり
ます。昭和、平成と企業一筋の人生で、そろそろ老後の人生を考え始めて退職の申し出をし退職したら
72歳になっていました。思い起こすと無趣味なことに驚き、自分は何をしたいんだろうと、
いろいろなものに挑戦しました。絵画との出会いは横浜市の生涯学習絵画教室に応募したのが始まり
でした。水彩画に出会い描き進むうちに、旭区美術友の会を知り入会、油絵に出会いました。
人生初めての趣味といえるものに出会い充実した日々を送ることの楽しさを味わう事が出来ました。
好きな音楽を聴きながら、好きな絵を描く、何にも代えがたい最高の時間です。
何を描くか、どのように描くか悩みも楽しみの内です、悩みが多いほど完成した時の喜びも大きい。
無理せず、頑張ろう。

《お知らせ》
昨年の「ハマ展」に於いて「鶴見画廊賞」を受賞いたしました。
受賞記念として、受賞者2人による2人展が開催されます。ご興味のある方は是非ご来場ください。
鶴見駅西口  鶴見画廊
会期     令和3年7月7日(水)~7月12日(月)
       11:00~18:00
                           令和3年6月1日



「私が思うこと」                     平原和子(旭美術協会 会友)

 先月、元気に「節目の年代」を迎えることが出来ました。
そこで改めて、私と「絵」との歴史を振り返って見ようと思いました。
物心ついた頃から「絵」を描くことは好きでした。叔父が絵を描く人で、
入選したという油絵が我が家に飾られていたことも影響していたかもしれ
ません。又、通っていた小・中・高一貫校で度々行われる絵画展に絵が選
ばれ、高校の部活は美術部。進路は美大、との流れで、高2の時に芸大の
油絵の夏季講習にも参加、ところが、高3になって、いきなり父が「就職
に役立つところへ」と言い出し、急遽デザイン科へ。「筆」から「ペン」の世界
となり、就職先も出版社。当時の殆どは活版印刷だったため、カットや図版
は黒で描き、そして結婚で退社後もフリーで仕事をもらい、ひたすら図版の
製作を続けていましたが、時代の流れもあって仕事が少なくなり、自由な時
間も出来、のんびりと「色」がある世界を描けるようになって、そこで『旭
美術協会』との出会いがありました。
 好きな「絵」を、思いっ切りたくさんの「色」を使って描ける今の状況を、
本当に満喫しています。



「私の思うこと」                     三浦 藤枝(旭美術協会 会友)

 昨年、今年とコロナ禍で仕方ないかも知れませんが、旭美展が開催
されないのは、とても残念に思っております。

 私の絵の始まりは、二十年ほど前に白根地区センターの水彩画教室
から始まりました。
 年齢を重ねて日々老いる頃に、楽しむ事が出来るようにとの思いで
参加しました、お教室で静物(果物)の授業の時でした、先生が
こんな、まずそうに描いてはダメです、もっと美味しそうに描いて!
とのお言葉でした。
 どのように描いたら美味しそうに見えるのか、頭痛の種でした。
その頃の私はゴルフのお誘いがあると、水彩画教室をお休みして
ゴルフ場に行ってしまう私でした。
 どのように描いたら、美味しそうに描けるかを目指して、横浜美術
友の会の、油彩教室、水彩画教室、デッサン教室、にも参加しています。
 自分なりの理解では、上手な絵と、良い絵は、異なると思いますが
いずれにしろ、見てくださる人に感動していだだける絵を描けると、
最高!と思います。 努力しかない‼。 とこれからも絵を描く事を
楽しみに上を見て絵を描いて過ごしていきたいと思います。

 コロナが一日も早く終息しますようにと願っております。



「私の思うこと」                      森田由美子(旭美術協会 会友)

絵を描いていると心が落ち着きます。
気持ちいい集中がやって来ます。
絵を描くことで集中するということが日常化し、集中力を身に
つけることができます。
コロナを機に生活が一変し、ライフスタイルや働き方以外にも
時間の使い方や幸せの価値観が変わったり、
自分にとって無駄なことや余計なことがわかったり、当たり前の
生活ができることに感謝する気持ちが、日増しに強くなっています。
コロナでさまざまなことを制限された今、自分にとって何が必要か、
何が本当に楽しいことなのか、音楽、映画、芸術などいろいろな
作品に触れて、自分の純粋な想いを探ってみるのもよいでしょう。
十分な睡眠をとり、良質な食事をとり、心を整えるといったケアを
しっかりしながら、自分が心地よく表現でき、活動に取り組めれ
ば幸せです。



「私が思うこと」                      山口篤子(旭美術協会 会友)

 秋のお彼岸も過ぎ、自家消費分足らずの
野菜を育てている畑へ出て成長をみる。
収穫出来ても両手一杯分くらいの落花生。
葉ばかりが茂っているさつま芋。ネギは病気に
なっていないかと、どれも触りながら確認。
細いネギを手にしてまた思う。ナス、ピーマンは
まだ大丈夫そう、トマトそろそろ片付けようか――
冬の野菜のために・・・。
 長引くコロナ生活で、家にいる時間が
多い去年今年、日々のエネルギーの素「絵」を
思いっきり描きたいと思いつつも集中力が
持続せずに、家の片づけばかりに夢中。
押入れの中の物が減りスッキリ! これはこれで
楽しかったです。
生み出す充実感も味わいたく、去年感染対策を充分にし
ウコッケイの写真を撮りに動物園へ。やはり、
「コロナ禍の為、なかよし広場は、しばらくの間中止」の
看板が・・・。
今、もう外されているでしょうか。
近々行ってみようと思っています。



「私が思うこと」                      山﨑歌子(旭美術協会 会友)

 早朝に見る朝焼けの広い空、また夜には星
空を見上げるたびに美しい自然の姿に感動し
ているこの頃です。
 思い起こせば田舎育ちの若かりし頃、友人と
山野を散歩したりすると、私だけが歩みを止め、
遠くの山並みや、雲の動きを眺めながら、
そして身近にひっそりと咲く野草の花々を
覗いて見ては、しばらく一人で佇んでいた
ものでした。友人から「何をしているの?」と
よく聞かれたものです。「面白い雲の形ね。
樹木の赤や黄色の紅葉も美しいでしょう。」
と言うと、友人は「こういう景色に感動す
るの?」とよく言われたものです。
 この自然の美しさに心を動かされていた
ことが絵筆をとって絵を描いてみようと考える
ようになった発端です。
 このような気持ちをもっと素直に絵として
表したいものと願っております。
 



「私の思うこと」                      井口由多可(旭美術協会 会長)

 11/2~8日まで、横浜そごうにて画業50周年の個展を終えたところです。今回
皆様に御知らせしなかったのは、コロナ禍で蜜をさける為、やむをえずひっそり
とした個展でした。
 思い返せば50年前の24才の折、わずか2年務めた海運会社を辞める決心を
しました。第一志望で入社、配属されたのが外国為替を担当、ドルが変動相場制
になったばかりで、ドルの値段が一円何十銭の動きにあたふたする毎日でした。海外
駐在を夢みていたのですが、その部署からは10数年動けずと聞いて愕然としました。
 会社を辞めるにしても、次はどんな職種につくか思案した結果、絵に囲まれた
生活、画廊勤めが良いと考え、先ずは油絵を描いてみようとその日から制作に励み
ました。抽象画から始まり、多彩な色の混合組み合わせから具象画へと移りメルヘン
調のヨーロッパの景色を描く様になりました。絵を始めて一年半、20数枚の絵で
個展を開く事にし、その日の内に会社へ辞表を提出しました。個展はまずまずの
成功でしたが、画廊勤め不況で、どの画廊からも採用ならず。その後の生活の不安は
ありましたが、毎日好きなだけ絵をかける、会社に行かなくても良いという夢が実現
した事の方が大きく思えました。それから2年後、26才の時に半年間、ヨーロッパ街や
村を巡りました。本格的な絵描きの道に入るのはもうしばらく時間がかかりますが、
そのお話しは又の機会に...!



旭美術協会事務局だより 令和3年12月1日          佐藤昭子(旭美術協会 事務局長)

 新型コロナウィルス感染症で私達の生活もすごく変わりました。
令和2年4月にコロナウィルス感染症の感染拡大で、この年10月
予定の第29回旭美展は中止しました。今年も状況を鑑み中止に致し
ました。
 今年の19月後半になり急に感染が治まりつつあり、 他の美術団体
の案内状も届くようになりました。次年度(令和4年)には旭美が開催
できることを願っています。
 話は変わりますが、11月21日に旭美術友の会が秋のスケッチ会を
開催したので久し振りに参加しました。錦秋の横浜・日本大通り付近
で銀杏の樹々の照葉が美しい並木道、山下公園の秋咲きの赤いバラが
素敵でした。帰りに旭区の黄昏・真赤な空に富士山、大山、丹沢連峰
のシルエットが美しく、良い一日を過ごしました。

  追伸 第29回旭美展は令和4年(2022)10月26日~10月30日に
     予定しています。
     皆様のご出品を下さいます様お願い致します。



「私が思うこと」                      荒木達夫(旭美術協会 前副会長)

1.私が思うこと
 旭美実協会にお世話になって、今日まで数多くの講評をする機会がありました。
その度に痛感していることがあります。 それは講評することが難しいことです。
自分としては講評する時、自分の姿勢の在り方をよくわかっているつもりですが、
講評の最中、ふさわしくない言動が見られ「ハッ」と気がつくことがあります。
誠にはずかしいことです。
そして作者に申し訳ないと気づくことがあります。
 そこで、今回私自身、自分への戒めのため講評するときの望ましい姿とは、いくつか
例を挙げてみました。

講評する人
 冷静な判断力、公平であること、多面的見識を備えている、
ο 権威的態度、言葉は禁物
ο 作者に対する尊敬、尊重の念を持つ、
ο 自分の言葉に責任を持つ、
ο 作者の意図を無視し、講評者が一方的に批判をすることはよくない。

◎ 指示、指摘の後理由説明、どうしたらよいか、作者が納得する方向に
  導いてやるようにする。

                      以上
2.私こと
 令和二年二月一日 内閣府発令の叙勲に際しまして、
はからずも瑞宝双光章の栄に浴しました。
これもひとえに皆様の長年に亘る心温かいご指導、ご支援の賜と感謝
申し上げます。
 以上、こヽに謹んでご報告致します。



「私が思うこと」                      赤阪宏美(旭美術協会 会員)

 「私が思うこと」が一巡し、2回目がまわって参りました。ついこの間投稿したばかりのつもり
でしたが、もう3年も経ったことに驚いています。

 この間に、世界中を震撼させる疫病が蔓延し、それに怯える生活を強いられるなど想像さえしな
かったことが現実になり、歴史は繰り返すを・・・身をもって体験しております。
 生活が一変し行動も制約された2年間でしたが、それでも最近はコロナ対応に考慮した種々の展覧会
の案内が届きます。いずれ旭美展やグループ展が再開される時に慌てずに済むよう、私も細々ながら
絵は描き続けておりました。これまでは静物や人物画が主でしたので室内での作業がほとんどでした
が、数年前から横浜近辺を描くスケッチ会に参加し、光や風を感じながら戸外で描く楽しさも
知りました。
コロナ禍でも何とか潤いのある生活が送れているのは趣味の音楽と絵のお陰と改めて思っております。

 現在、新たな絵も増えつつありますが 、これまでに描きためた絵の処分も始めています。
断捨離・・・そんな年齢になったと、しみじみ感じるこの頃でもあります。    2022/01/23
                                              



「私が思うこと」                      伊藤幸二(旭美術協会 会員)

 ここのところ、絵が思ったように、描けていない状態が続いている。時間はたっぷり
あるのだが、気力が高ぶらないのである。従って、以前描いた絵を取り出しては、何回となく
手をくわえて、少しでも見栄えがする様、時間をつぶしているところでもある。
 時々新しいモチーフを見つけては、よし頑張ろうとキャンバスに向かうが、今度は
いろいろとあれこれ考え過ぎて思うように描けない、やはり気分が高ぶらないのである。
 新型コロナが、大陸から入ってきて、もうどれくらい経過したのだろう。2年か、いや3年に
なっているかもしれない。この間、旅行などはもちろん、遠出も殆どしていない。人込みも避け、
ただ家の中に閉じこもっていただけである。
 今は「コロナ退散」を願っているが、いつ終息するか見通しは暗い、もうしばらくは付き合う
以外はないと思っている。しかし最近は出来るだけ外へ出かけるよう心がけている。ワクチンも3回
接種した。従って感染の危険度も少なくなっている。巣ごもり生活を改め、行動範囲を広くし、
コロナ以前の生活に戻すべき時が来たようである。これにより気持ちの持ち方が変わり、気分を
高める生活を取り戻せれば、絵もおのずから良い出来となると、思って頑張っている昨今である。
                               2022年3月18日 



「私が思うこと」                      岩﨑八重子(旭美術協会 会員)

 年重ねるごとに絵筆を持つ手が少なくなりました。思いはあるのですがコロナ過で旅行にも行けず
庭で花を眺めている毎日です。
  今年は日本さくら草が見事に咲きそろいました。70鉢以上あります。本当にきれいでした。
 ウクライナの子供たちの悲惨な光景が見るに堪えない___何とかならないものかと怒りが
こみ上げてきます。人間のすることではありません。未来の為に一刻も早く終わりにしなければ~~
~~と日本の片隅で祈っています。ウクライナとヒマワリは平和の願いのしるしだそうですね。
 わたしもせめてヒマワリに祈りを込めていっぱい咲かせたいと思っています。

                            2022年4月30日



「私が思うこと」                      植村律子(旭美術協会 会員)

 今回は絵のモチーフと画風について、私の思っていることを書いてみようと思っています。
これまで長いこと絵を描いてきましたが、私にはいまだに、決まったモチーフというものは無く、
画風と云えるほどの決まった描き方もありません。
 絵を描いている人の多くは、何年かすると、自然に風景、人物、静物などと別れていって、
その中で決まったモチーフができ、作風も定まってくるように思います。
 でも私の場合、一向に定まらないのです。何故かとよく考えてみると、興味のあるものや
表現方法がどんどん変わってきたからだと気付きました。ただ、ずっと同じもの、例えば魚などを
何年も描いていた時期もありましたが、表現方法は写実的、平面的、厚塗り、薄塗りといろいろ
変化してゆきました。
 最近では棚に並べてある物を描いたりもしました。並べてあったアフリカの少女や、動物の
彫像を描いている時、ふと、この少女や動物はどんな生活をしているのだろうと想像し、それを
絵にしたいと思いました。それからは、テレビや本でアフリカのことを見ると、写真を撮って
絵づくりの資料にしてしばらくは、そういうアフリカを描いたりしました。
 そのうち、知らないアフリカを描くより日本の風景や伝統的なものを描きたいと気持が
変わってきました。現在、今まで描こうとも思わなかった富士山や、お城、縄文土器や東京タワー
などを一つの画面に入れた絵を描いています。
 イタリアのモランディーという画家は、終生、身の廻りにある瓶や壺、水差しだけをモチーフに、
自分の確立した作風で描き続けたと聞いています。又、ピカソのように変化していった画家もいます。
共通していることは、それぞれその時、自分が一番か描きたいものを自分の方法で表現したという
ことなのではないでしょうか。
 これからも私の絵のモチーフや作風は定まらず変わっていくかもしれません。
でも今は、もう少し日本のいろいろを描いてみたいと思っております。
                                2022年6月2日


  私の思うこと                       内山徳行(旭美術協会 会員)

 私は去る五月の「ハマ展会員展」の作品タイトルは「樹根」としたのですが、当初は
「根張り」と考えていました。ブナ大樹の根元を強調した作品で、制作にこれまで以上に粘りに
粘り、根張りを語呂合わせで考えていたのですが、少し強引すぎるかなと思い、替えました。
 樹木は大体が根をできる限り張ろうととしている。根の張りようで地上の枝ぶりが決まると
いわれ、広葉樹と針葉樹の根の違いが山崩れの際の起き方に影響してくるようだ。岩手県盛岡の
“石割桜”は岩を割ってまで根を張りだした。根の張りようにその木の生命力が表れといえる
ようです。
 「樹木たちの知られざる生活」(P.ヴォ―ルレーベン 著)によると、樹木たちは芳香物質や
電気信号のような化学的、物理的手段を使い、お互いにコミュニケーションをとっているという。
私も伝わるかどうか不明だが、ブナの大樹に出会うと言葉で”生命力を分けてください”と、
はたらきかけながら絵を描かせてもらっています。先ほど、テレビのニュースでスイカを大きく
育てるのに傍で歌っている女性がいるのを知りました。
 誰もが、手前勝手な想いを絵画にぶつけている思いますが、私は山登りの途中で出会った
様々なブナを思い出しながら、さらに勝手な解釈を加えながらブナを描き続けたいと思います。
                              2022年6月23日

 


 気象病・お天気病                      江藤俊輔(旭美術協会 会員)

 晴れたあとに長雨、猛暑日にゲリラ豪雨。今年のアジサイはとても可哀そうだ
った。七色に変化する時もなく季節は過ぎた。
 連日の目まぐるしく変わる天気に、うっとうしくて元気になれなかったので、
「先生、なんだか体がだるくて、頭が重い感じですが」と主治医に告げると、
「そういう年齢ですよ」と言って、いつものように血圧を測り、いつもの薬を渡
された。
 私も家人と同じように、年齢からくる「自律神経のみだれ」と決めつけていた
のだが、今年になって急に話題になっているのが「気象病」とか「お天気病」と
いう新しい言葉だ。
 天気の急変による気圧の低下の影響で、頭痛・めまい・体調不良・体調の悪化
が起きることを指すようだ。それは、従来の体の衰えから診た「自律神経失調症」
を、天候や気圧の変化などの気象条件に置き換えて観察するというものだ。耳の
奥にある内耳の気圧センサーが、自律神経のみだれを起こしたり、脳にストレス
を与えたりするのが原因とされている。
 解消法は「正しい食事・適度の運動・十分な睡眠」。主治医の口癖の「三度の
食事・散歩・よく寝る」と変わらない。ただ、「年のせい」だけではなく、「お天気
病かな。今日はこんな天気だから片頭痛がするんだな」と、気象病・お天気病を
感じ、意識して行動ができるようになったのが何より嬉しい。
                               2022年7月26日




「今思うこと」                        遠藤照美(旭美術協会 会員)

 朝が来る。一週間の終りの早さに、身体も頭も着いて行かれず時間に翻弄される。
この原稿も〆切が明日。何も思いつかずペンが進まない。すべてから逃れる理由ばかり
を探す。改めていろんな意義を考えて見ようと思う。今コロナウィルス、気象変動、
ウクライナ戦争等々、地球上に様々な事が起り混沌としている。医療関係で働いて
いるので、コロナウィルスで逼迫した状態は目の当たりに実感している。かって細菌
培養等で種別を特定したり、顕微鏡下で細胞を確定したりと、未知の世界を想像する
のはワクワクした。太古から人類は微生物と戦って来た。特にウィルスに置ける致死率は
人類を震撼とさせた。しかし人類はウィルスから抗体や免疫を獲得して感染への防御
をする事が出来たが、ウィルスも、生き残る為その都度変異して戦いに挑んで現在に
至っている。時には協力して、効果ある薬を生み出す。人間との共生である。これからは
AIの時代。どこまで微生物を利用して医療に役立たせるか、今回のコロナウィルスも
人間への挑戦。何を学び生かせるか、意義のある事として捉えたい。
 絵を描く意義を思う。日常から非日常へと想像の世界で一人遊びをする時間。しかし
公募展に出品する様になり、〆切に追われただただ筆でなぞるのみ。エーイ絵なんて辞めて
しまえと逃げ心が頭を持ち上げる。しかし諸先輩方が、年令を重ねる中、パワフルな
制作振りと精神の若さ、経験値の高さで造形理念を追求し続ける。その姿勢に教えられる。
 今年もひまわりがあちら、こちらで咲く。実をたわわに稔らせ来夏へと向かう。目の前の
世界を掴み取り勇気をくれる。ウクライナの地を思う。それこそ今ひまわりを描く意義が
あるのではないかと思う。




私が思うこと                         奥田胤明(旭美術協会 会員)

  川岸には、栴檀の大木が並木を作り、無花果の木が枝を川面に伸ばしている。
雨が降り少し水が濁ったときには、今では天然記念物となったアユモドキがよく釣れ、
テナガエビなどと一緒に普通に食べていたし、針ウナギ(ウナギの幼魚)が岸辺の石に
沿って群れを成して流れをさかのぼっていた。 小川でも岸には、ネコヤナギやミソハギや
グミの木が点在し、夏には繁った川藻の間をナマズの稚魚が群れ、雄雌のタナゴや鮒が
泳いでいた。
 これは私の少年時代のことです。そんな折り、大量のBHCやDDTが使われ、アメリカで
起こった「沈黙の春※」の日本版が急速に進んでいた。その後の経済成長期にあらゆる
河川の並木が、殺風景なコンクリートとガードレールに取って代わられてしまった。
 昔の風景が懐かしいが、自然な姿の大木のある風景を見つけることは、首都圏では難しい。
川筋では無理なので並木道を中心に画材を求めている。コロナ禍では、遠出は出来な
かった。静物画は描きたいが、道具立てに苦労する。果物を買えばその入れ物、背景、
大切な照明どれも選択と設定に時間と資金が要る。近所の森の道、車の通らない
散策道路で身近な風景を探すのが今のところ最も確実に、我慢出来る画材を見つける
ことが出来る。そして肝心なのは技法であると私は思っている。

 ※:Rachel Carsonが、名著「Silent Spring」の中で訴えている「塩素系農薬で
   昆虫が死に、それを捕食する鳥も死に、大量の渡り鳥が絶えて来なくなり、
   急に静かになってしまった春のこと。」
                                   2022年10月3日




私が思うこと                         佐野宜子(旭美術協会 会員)

 コロナ禍の為、3年振りの旭美展を開催。
出品者、来館者が待ってましたと順調な出だし・・・
サンハートの会場も華やいだ雰囲気で無事終了。
画面にいかに表現するか納得いくまで試行錯誤し、
独自の表現を目指す孤独な営みで完成へと進む
3年間の軌跡がこの会場に濃密なメロディを奏で
人々に語りかけています。
各々描くことが好きという共通の純粋な思いが
この旭美展を支えています。
 今回の旭美展について、逢う人皆から、会員の
大きな作品も一緒に飾られていて見応えがあったと
大変な好評価を頂いています。
 より一層高みを目指し挑戦し表現の幅を拡げよう。
絵を描くことが好きでよかった、そんな仲間がいて
よかった、人生は楽しかったと最終章に至る今
心から喜べるのです。
                11月2日




私が思うこと                         富塚 泉(旭美術協会 会員)

 還暦の年 何か新しいことを始めたいと思った。
目の前に父の遺品として油絵道具一式があった。
やれるかどうか分からないがやってみよう。
これが油彩を始めたキッカケである。
 先ず絵画教室に行ってみると隣の人が十年すれば描けるように
なりますよと。ところが十年経ってようやくスタートラインに
立ったような気がした。それからまた十年経った今でも思うように
描けない。終わりのない長い道を歩いていることに気がついた。
 命尽きるまで絵筆を離さなかった恩師原田先生の絵に対峙する
生き様を目の当たりにして胸に響きました。
最期に何よりの励ましをいただきました。
                11月29日




私の思うこと(絵を描ける幸せ)                平田與二(旭美術協会 会員)

 趣味で絵を描き続ける上で至福を感じてきたのは、写生に出かけて自然のなかで「ハッと感じた」
ポイントを見つけた時。そこに腰を下ろして絵をスケッチをすると、たとえその絵が上手くいかなく
とも、なんとも心豊かになるものです。パッパッと撮ってきた写真を元に家でスケッチするよりも、
はるかに心に残ります。 私の好きな風景は特に山と里山。洒落たところよりも、ひなびたところ、
古い昔がある場所が好きです。さらに描写力を磨いて、人に感動を与える絵を描くことが課題です。

 米在住の娘から届いた本に、「若き芸術家たちへ」という安野光雅と佐藤忠良の対談があります。
彫刻家である佐藤氏は、長年日記を付けるように樹木をデッサンしましたが、そのなかで、木の根
っこがこぶになったり干割れたりしながら自然と闘い、木全体を倒すまいとしっかりと支えている
逞しさを学び、「自然がいちばんの恩師」と語っています.
 また、旭美の創立会員であり、永年に亘ってご指導いただいた樋口洋先生は、執拗なまでに現場
描きにこだわった先生でしたが、雪を描くことに人生を賭け、命を削るほどの苛酷な状況のなか、
厳寒の大自然と格闘しながら”雪の表現”を模索し続けました。その執念が作家としての原動力で
あったと語ってます。先生は第44回日展では「白い函館」で内閣総理大臣賞を受賞しておられます。

 私も雪の風景が好きで、足尾銅山や岩手の小岩井牧場など、冬の現場で描いた経験があります。
真冬の足尾銅山には約10年間、度々訪れ取材しました。
樋口先生が舞台にされた冬の北海道の氷点下の厳しい自然とは比べようもありませんが・・・・。
プロの作家魂には尊敬の念を感じます。いつも雪景色を描く際には、先生の画集と、先生から頂い
た貴重なアドバイスを記憶に刻んで描いている。

 この三年間のコロナ禍による自粛生活、人物デッサン・クロッキで有り余る時間を過ごすことで
救われました。毎日の日課でPCのYouTube動画を開いていますが、欧米から絵画に関するものが多く
配信されています。なかでも「人物デッサン・クロッキ」の動画は大いに役立ちました。この二年
間。ここから様々なモデルを選び無心になってデッサンしました。光と影の設定が出来ているので
描きやすく、スケッチブック(10号)が今、4冊目になります。今年こそコロナ禍から解放され、
絵の仲間とスケッチ旅行ができるよう望んでおります。

 永く健康で絵を描ける幸せと家族の支えに感謝している。

                                2023年元旦




私のモチーフ                         松下久子(旭美術協会 会員)

 人はそれぞれに偶然か又は必然に駆られてモチーフに出会い筆をとり
表現を試みる。私の場合は総てが偶然の連続であったと言ってよい、その
いきさつは~。

 知人に猟犬のブリーダーがいた。或る日、英ポインターを連れて我が家に
現れた。しなやかな美しさに魅了され、幼犬を譲り受けて飼うことになった。
マークと名付けた血統書は4代上まで遡り白黒の毛並みの模様は敷物の様に
示してあり面白く感じた。受け継いだ性質は猟の為か物静かで虫一匹にも
ポイントのポーズを取り動かなかった。
 ブリーダーの言葉に従って庭の一隅に柵や小屋を作り外で飼ったが、後で
思ったのは、家の中で飼ったらもっと身近で面白かったのではないかと悔やまれた。
14年間、私のモチーフとなり二紀会へ出品を続け、病死した時は喪失感で黒い
服を着た女性と犬を描き題名は「アルテミス(月,狩りの女神)への想い」と付けた。
ギリシャのデロス島にある犬かライオンの様な遺跡と黒服の女性を組み併せた絵
を描きマークの死を悼んだ。
 そうした或る日、銀座の並木通りでシモン系の人形の展覧会があり、アリスと
名付けられた子供の等身大の関節人形に出会った。
その頃はビスクドールが話題になっていて、二紀会の宮本三郎、田村考之介先生、小磯良平先生等が
素晴らしい絵を描いて居られた。
恩師の松井叔生先生もフランスからジュモーの人形を抱えて帰られて、アトリエで
何枚も描かせて頂いた。宵闇の迫るウインドーにひっそりと佇むアリスに魅せられて私は作者に頼み、
我が家に迎え入れた。
 アリスは実に様々な役を演じてくれて、私にイメージの世界を展開してくれた。
楽しんだり、悩んだりして作品を描いて40年を超す月日が流れた。

 今は、コロナ禍に続いてウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル発射、中国の問題
温暖化加速と暗い世相になり、体力の低下も伴ってエネルギー不足に陥った私を
アリスは憂いのこもった目で見つめている。

                                 2023年1月29日




今、思うこと                         宮崎基子(旭美術協会 会員)

 私は、今年の5月で、87才になる。
自分の時間もあとわづかだ。必要な脳力も少ししか持っていない。
肩ひじ張らず、他人と比較せず、落ち込んでも失望しない。自分にも他人にも、
振りまわされない、不満ばかりでむなしく過ごしたくない。
 主人がなくなって、6年が過ぎた。今年は7回忌!!
二度の大腸がんの手術にもがんばったが肺も、最後に、腰や、脳にも転移し、
出来る治療は全部した。頭はしっかりしていて、会話も出来た。
苦しい、痛いとは、一度も云わない人だった。
毎日、入院先の面会時間には、50ccバイクで顔を見に行った。「有りがとう」
「がんばれ」も云えないままその時が来た。一人暮らしになった今も、主人の存在を
感じながら、生きていくのだと思う。コロナの前で良かった。
 主人の病状が一番大変な時、私はついつい云ってしまった事がある。「25周年の
絵どうしようかな」」。主人の返事、「死ぬ人を待っていないで好きな事すれば」でした。
その言葉で、ハッとした。私には、夢中になれる絵がある、毎日、描きかけの絵を
ながめどんな絵でも、精一杯やったという満足感と充実感が味わえたのは、25回展
(P50、油彩)「協会への階段」主人の一言でがんばれたのだ!! 大きな賞もいただいた
絵である。
 現在の自分の老いて来た身体を、どういうふうに大事に使うか、毎日考えてしまう。
嫌な事はがまんせず、くよくよさせる要因になるものからは、自分から逃げる。人生において
これ以上の喜びはないよなーと思いながら体と頭脳をどんどん動かすぞー。
第一回から一度も休まず、旭美に参加出来た。
 今年は第30回展だ、主人の言葉「好きな事をやれ」を思い出して、構図を考えている
この頃である。
                                    令和5年3月




   「 私の思うこと」                    久保田紀子(旭美術協会 会友)

 趣味は何かと問われれば、絵を描く事と言える様になって10年が過ぎました。
 現在コンビナートに取り組んでいます。現場に立つと自分の身長の何十倍もの高さ、
大きさ、迫力に圧倒され製造業の偉大さ、現実に稼働している工業地帯の一遍を目にし、
感動が沸き上がりました。
 その場所に立ち臭いを嗅ぐと足が竦み、私達が生活している生活空間との余りの違いに
驚き、躍動感、体に感じるエネルギーを表現したいと思って描いていますが。仲々
何度描いても思ったように出来上がらず先生方に御指導頂きながら続けています。
現在はコロナ禍で現場に行く機会はありませんが又出掛けて行きたい、続けて描き
表現したいと思います。
                                    令和5年4月




 私が思うこと                        宮田宣男(旭美術協会 会員)

  保土ヶ谷公園でスケッチしているところに協会の先生から電話があり私が思うこと
を500字くらいに纏めて欲しいとのご依頼を頂きました。
4月にしては異常に暖かくて少し汗ばむようでしたが、輝く青葉の色を楽しんで描い
ていると、野球場の方から太鼓の音が微かに聞こえてきます、きっと高校野球の地区
予選ではないのかとおもいます。
 今日は女性2名男性2名計4人でしたが、いつもは7名のグループです。リーダーのHさ
んは私の尊敬する人で自宅で油絵の指導をしていて、時々随筆文を書き何人かに配布し
ていたりしています。帰りは星川駅近くの焼き鳥屋で今日の作品の評価をお互いにし
ながら酒肴を楽しんできました。
 私が旭美展に初めて出品したのは2012年でその際に賞を頂き大変感動した事をおぼえ
ています。その後10年間で会員の高齢化があったり、会友の減少もあり、状況は大きく
変わって来ております。
 しかしこの変化は旭美だけでなく他の公募展団体にも言える事と思います。
コロナ過により旭美展も中止が続き一般の関心も弱くなっておりますが、今年は旭美
展の開催が有りますのでその状況結果により今後の方針(計画)を決めたらと思います。
 いずれにしても大きくなっても小さくなっても愉しく絵画の出来る旭美にして頂きた
いたいです。
       令和5年4月23日               宮田 宣男 




 私が思うこと                        吉野敦子(旭美術協会 会員)

 10年ぐらい前のことです。私の息子の歯科医院に当時皇室関係の方々が患者様で
いらしていました。その関係で、髭の殿下の愛称で親しまれた三笠宮寛仁様が2012年に
亡くなられて三周忌の時、赤坂御用地内にある三笠宮邸に息子夫婦と私でお参りに行く
事になりました。「お母さんの絵を献上するから 三枚位描いておいて」と息子に言わ
れまして、三笠宮家のお印が柏なので、柏に、ちなんだ作品三点描きました。息子夫婦に
選んでもらった2点を待って 赤坂御用地に初めて入りました。鬱蒼とした木立が続く
なか まず当時皇太子だった現天皇陛下の東宮御所がありました。森のような緑のこい
御用地に秋篠宮家や秩父宮家など点在していました。高い至る所にカメラが設置されて
パトロールの車とすれ違います。息子夫婦と私と案内の方2人とだいぶ歩いて三笠宮邸に
着きました。私が息子にいわれて玄関のベルをおしました。白い手袋をした侍従という
方でしょうかでていらしてなかに通されました。うやうやしく私の絵を差し出して受け
取られました、胡蝶蘭が随分たくさん飾ってありました。胡蝶蘭を献上する方が多い
のでしょう。
 この息子が5歳のとき私はこの子と3歳の娘、の手を引いて横浜市主催のハマ展に
初出品して 以後ずっと絵を描き続けてきました。今は旭美術展のほか毎年六本木の
新国立美術館に130号の絵を出品しています。
 絵を描き続けてきたからできた体験でした。
                                     令和5年5月30日




楽しいスケッチ                        荒川眞里子(旭美術協会 会友)

 旭美術友の会のスケッチ会にいつも参加しています。初めて行ったのは10数年前になるでしょう
か。油絵は長く描いてきましたが、それまで外で描いたことはなかったのでとても新鮮でした。
ほかの会員の方は、個人でも外でのスケッチを楽しんでいらっしゃるらしく、それも少し驚きでした。
大池公園だったと思いますが、空気も気持ちいいし、描いていてたのしかった。

 とはいえ、未だに一人でスケッチに出かけたことはありません。人前で描くのはなんだか気恥ずか
しいし、わざわざ出かけるのもめんどくさい。みんなで一緒に行けば、勝手に一人で場所を見つけて、
一人で描いていて平気なのはなぜなんでしょう? スケッチ会のスィッチでもあるのかな。

 スケッチ会では、本当にきれいな景色はとても難しくて(だって本物が一番ですから)描ききれ
ないので、「ちょっと面白いところ」を探します。人工物があったり、光がいい感じだったり・・・。
短時間というのも、大変だけれど、集中力の乏しい私には向いています。

 で、いつもスケッチ会を楽しみにしているのです。

 でも最近は参加者が減って寂しいです。どうぞ皆さん、ご参加ください。
                                    令和5年6月29日




 私の思うこと                        宇塚雄輔(旭美術友の会会長)

 今年も暑い夏がやってきた、7月半ばまだツユの明けきれぬ内から連日35℃ を越える
猛暑が続き、高齢者ならずとも体力の消耗は身に応えるものが有った。コロナ禍によって
痛めつけられた三年間の空白がようやく終息しかかったこの時期の暑さで心身共に疲れ
きってしまった。自然の成り行きとは言え各地の自然災害の発生は当事者ならずとも痛切な
思いで心を痛めた。
 こんな時に自前の絵筆が何となく心をいやしてくれる、絵画に興味を持っていて良かった、
唯絵筆を走らせる丈で悪事を忘れ時には詩も出てくる、やがて心に落着きも出来てくる。
人生長年生きていれば、皆色々な事に直面する善悪にかかわらずその時を乗り越えて、さらに
元気に前進する、これが誰もが願っている事かもしれない、いや、私自身の近況をつくづくと
振り返り綴ってみました。
                                 令和5年7月30日
 




 私の思うこと                        白井佳郎(旭美術協会 会友)

 セザンヌの絵画「サントビクトワール山とシャトー・ノワール」
これは私が20代の頃、東京駅八重洲口にある美術館にて初めて鑑賞し大感動した絵でした。
絵の前のベンチで、時間の経過を忘れるほどでした。具象を抽象で包み込むような絵画に
なんともいえぬ心の安堵感を感じたのでした。
その後、油絵を見よう見まねで仕事の合間時間を見つけ描き始めました。
そうした時、家の近くに二科会の先生が居られ短い期間でしたがご指導を頂くことが出来ました。
 しかし、その後仕事が多忙となり、様々な生活の変化により、たまに絵を描く程度でした。
 やがて会社は定年を迎え、これからは好きな絵画を描き始めようとした時、旭美展のことを知りまし
た。旭美術友の会の研究会での皆さんや講師の先生方のアドバイスを受け充実した日々を過ごせること
に感謝しています。そして軽い運動で身体を鍛え、好きな音楽を聴きながら絵を描く日々を満喫して
います。そうした中、この絵を描く喜び、醍醐味はどこから来るのだろうと素朴な疑問を思索する
事があります。
 光と影、彩度と濁色、暖色と寒色、そしてコントラストやバルール等を考えながら絵筆を進めて
いると、将に絵画は人生そのものだとしみじみ思うのです。
 暗色の影や濁色を人生の苦悩、逆境等と感じるなら、明色や鮮やかな色は歓喜や安楽と優しさを感じ
ます。そこで絵画の面白いところは明るく美しい色彩だけでは本当の感動や納得は得られない事なのだ
と思いました。
その明るさは暗さによって明るさを引き立たせています。従って
 暗いトーンの暗色をどのように捉え相応しい色彩で表現し得るかということは、
人生の困難をどう受け止め乗り越えて行くかという事に通じ、その過程にこそ歓喜と感謝の心が
得られ、良い表現が出来るのではと信じます。
それは何事にも崩されない自らの心に勝ち取る事が出来る本当の幸福人生ではないかと思いながら
 多くの方々の支えに感謝し絵を描く至福の人生を、楽しんで行きたいと思います。
                                         2023.9.1




 齢92 ワンルームでリスタート               香田美和(旭美術協会 会員)

 今年初め老人ホームに移った!
 世間では毎日コロナ騒ぎを報じている昨年、一人暮らしが怖くなった?発症すれば即入院面会謝絶!
軽くても外出不可と!
介護付き老人ホームで見守りしてもらうのがいい!探してみると、あるある!ピンからキリまで!
入居金数千万円!年金暮らしの身にはとてもとても!一方手が届く物件は遠方の地!
選んだのは、介護レベルは最少だが、外出自由街中スケッチにもいい、賄い付き老人ホーム。
でも悩ましい!1LDKからワンルームへ!何せ狭い、引っ越すには断捨離必須!画室内も!
  絵を描くなんてことは無理難題だよ!今までが人並み以上だったのだよ!断捨離だよと周りは言う
覚悟がいった。描き溜めた作品一枚一枚にゴメンゴメンと声かけ裁断!額縁・パネルは、ネットで
公開、無料で差し上げますと!
 さてこの2月入居してみたら、世間では第6波から第7波とか?自由に外出できるはずだったホームで
は、コロナ対策がより強化!発症したら入居者・管理者に大迷惑だ!部屋で閉じこもりが求められる
有様!
どうする家康?ならぬ、どうする美和?画材セットは残っている!小品・水彩画だったら描けるよね!
葉付き枝付きの果物を友人にお願いして届けてもらった!道に散らばる枯葉も拾ってきた。デスクに
並べられる!モチーフ組むのも照明当てるのも楽しくなった。
大作への道は閉ざされたが、地中海沿岸を追想!光を空気を描きたい!この気持ちは抑えられない!
小さい紙でいい!街中スケッチも許されそう、画廊巡りも!
結論!まぁまぁがいい、欲張らずのんびり!それが私にとっての幸せ!
賄い付きワンルームになじんできた今日この頃です。
                                  以上
                                      2023.09.27




 私が思うこと                        高橋洋一(旭美術協会 会友)

 今週は第30回旭美展が開催されています。
絵画を趣味としている私たちにとっては春と秋は絵画のグループ展、公募展などがあちこちで開催
されています。
 私は絵画に出会って10年を迎え、少しずつその楽しさが分かってきたようです。6年前から年に
数か所への公募展に出展していますが、楽しい思い出ばかりでは無くつらい思い出も沢山あります。
趣味とはいえ、認められた時は喜び、そうで無い時は落ち込みますね。
 まだまだ未熟ですが、少ない経験から得たものは喜びの中からは成長は生まれない、つらい思いの
時こそ成長への大事な機会をもらった気がします。
そんな時、周りの人たちは親身になっていろいろなアドバイスを下さり、次への挑戦を勇気づけて
くれます。
 趣味だからのんびりやろうと思う反面、せっかくやるなら上を目指したいとの思いで、切磋琢磨
して大いに刺激を受けています。
 こんな素晴らしい趣味に出会え、こんな素晴らしい友に出会えて感謝しています。

                                  2023年10月28日




「私の思うこと」                       平原和子(旭美術協会 会友)

 今年も終わりに近づき、季節も「冬」。・・のはずだが、最近まで暑さを感じ、今「紅葉」真っ盛
り。我が家は、各部屋の「絵」を季節に合わせて変えているが、まだ「冬―雪景色」は合いそうにな
い。もう少し待つことにした。
 それにしても、今年のニュースは暗いものが多かった。マスメディアを通して目にする「戦い」の
現場は悲惨。「人間」の愚かさを感じさせられる。・・比べて、自然界の美しさには癒される。若葉台
をウロウロしながら植物に感動し、今日は富士山が見えるか、と確かめてしまう。いつまでも、この
ように自然を愛でることの出来る状況であって欲しい。

   さぁ!来年2月に行われるであろう地域の文化祭に出品する「絵」を、そろそろ描き始めなくて
は・・と思っていられる「今」に、改めて感謝の気持ちが湧いてきた。
                                   令和5年12月4日




 私が思うこと                        奥田胤明(旭美術協会 会員)

 令和6年の元日は、旧暦ではまだ11月27日、そして旧暦の正月は2月10日、一ヶ月以上先なのだ。
昨年暮れの懇親会で、古典源氏物語が面白いと言う話に巻き込まれ、賛同しつつ、絵に関する清少納
言の思いを述べた、枕草子第119、120段を持ち出した。彼女によると、実物に比べ絵になると見劣り
するものは「なでしこ。桜。山吹。物語にめでたしといひたる男女のかたち。」だと言う。確かに桜
はいい絵にするのが難しい。しかし、世の中では今も桜は富士山と並んで人気の絵の題材だと感じて
いる。彼女は初段で四季を通じて赴きのある時間帯を上げている。しかし、一番いい季節には触れて
いない。これより約300年後に兼好法師が、徒然草の第19段に折節の移り変わりに伴ったしみじみと
した情感を細かく述べている。その中で秋がいいと云う人が多いが、心がひときわ浮き立つのは桜の
咲く頃だと言う。私もそう思う。桜の木の根元の草が芽吹く頃、決まって雨と風の日が続くと、もう
花が散りはしないかとやきもきする様子は今と全く変わらない。枕草子を意識していたのか山吹にも
触れてきよげだと言っている。灌仏会は夏の始まりになっている。私が子供の頃、4月8日の花祭りの
日には、近くの寺院の本堂に上がり、甘茶が満たされた大きな水盤の中央に立ったお釈迦様の像に
小さな柄杓で甘茶を掬ってかけてあげる行事に行くのが楽しみだった。別に並んで甘茶の振る舞い
を頂くのが目当てでもあった。この灌仏会は旧暦では5月27日なので確かに夏の始まりだ。
 さて、桜や若葉の季節までには、絵の具の準備をする時間はたっぷりある。慌ただしく過ぎ去る
短い時節を必ずものにしたい。昔も今も気を揉む季節は同じで、待ち遠しく、そしてあっという間に
通りすぎるのだ。
 第31回旭美展に向けて、今から準備しよう。
                                   令和6年1月1日




 「私の思うこと」             森田由美子(旭美術協会 会友)

  昭和の生まれで 平成 令和の時代を生きて来て
「変わったあ-」と実感することが多すぎる
いつの時代も振り返れば 昔は今よりもゆる~い部分もあり
ある意味ラクだったこともあるが
昔を懐かしむ一方で 断然 今のほうが便利で楽しい
と思う自分がいる
 ネットの時代になり家にいながら どんな情報でも収集できるようになり
歩いて情報を集めることを怠り 検索によって簡単な知識を得るだけで
つい「知った気」になっていることが多くなってしまっている
 名画などはネットで検索すれば どんな絵なのかすぐわかるが
実際に展覧会を観に行き 現物の絵をじっくりと眺めれば
印象はまったく変わってくる
色彩の豊かさや絵の具の質感、構図の見え方など
実際に見て初めて感じられる細部がたくさんある
 絵を描く上で 一番大事なことは 感性を磨くこと
自分が何を描きたいかが大事であり
テーマやモチーフ、テクニックなどにとらわれることなく
描きたいように描けばよい
自分を奮い立たせて 意識して 未体験のものやことに触れてみよう
とすることはとても大事なことと思う
 積極的に出かけ 面倒に感じることでも敢えて挑戦し
純粋に芸術を追究していきたい
                       令和6年2月2日
 




 私が思うこと               山口篤子(旭美術協会 会友)

 春一番が吹きました。
 2月というのに最近の気候は、冷たいものが欲しかったり
雪が降り 冷たい雨続きだったり 春と冬のせめぎあいです。
 暖かくおだやかな日に 保土谷公園の梅園へ初めて
行って来ました。
介護老人保健施設に お世話になっている 90才と87才の
叔母達と私達夫婦。 90才の叔母が去年から「梅の花が
見たい」と言っていたので車椅子2台お借りして2時間だけの
外出です。
 公園のスロープを降りて行くと 梅の白い花びらがちらちらと。
濃いピンクの梅の花を描いている方、本格的レンズを花に向け
構えている方、犬の散歩、小さなお子さん連れ、テニスボールを打つ音の
響き、遠くには鳩、カラス、たぬき・・・ のんびりした時間でした。
 翌日の面会時、公園へ行ったこと覚えていませんでしたが
体調が変わりなく元気だったのが何より。
 先日 “世界最高齢プログラマー 若宮正子さん88才” の記念講演に
行ってきました。もうじき89才だそうです。
“私は創造的でありたい ~人生に「もう遅い」はない~” と。
高齢者は自立して 機械・デジタルとつながる力をつけることが大切だと
パワフルな講演内容でした。
 さて 私は 3月になり 少しばかり長ネギの種をまき じゃがいもの植え付けを
しようと思います。
                           令和6年2月




 『私が思うこと』              日下部俊之(旭美術協会 会友)

 28歳から油彩画を始めたので、今年で24年描き続けている。
 旭美展には2006年の第15回展から出展してきたが、2022年に念願の旭美術協会賞をいただき、
昨年、会友推挙になった。その間、示現会の会員にもなった。絵を描く事は子供の頃から好き
だったので、順調にキャリアが進んでいるのはとても嬉しい事のはずなのだが、最近は精神的に
悩む事が多くなってきた。原因はやはり仕事と絵の両立でやっていく事が想像以上に大変だと
いう事である。描き始めた当初「絵を描きながら仕事をする」を信条とし、これからの人生は
あくまで絵を最優先していこうと決めた。
 しかし、いつしか勤めている会社の仕事が多忙になり、残念ながら今は「仕事の合間に絵を
描く」に変わってしまっている。周りから趣味で描いているんだね?と言われ、そんなつもり
ではなかったはずだと愕然となったりもする。旭美で出会った恩師の一人、故齋藤昇氏は若い
頃生活費の捻出に苦しんだ。ある日『工場勤めをしながら描きたい』と、師の兵藤和男に
相談したところ、『働きながら描く⁈それじゃ君の絵はおしまいだね!』と言われ、その言葉を
信条に生涯画家のみで生き、83歳で一人きりで亡くなられた。人生の大半は貧しさとの戦い
だったと思われるが、それでも決して不幸な人生ではなかっただろう。
 自分は今年52歳になる。人生の残り時間ももうさほど多くはない。絵を中心に生きていく
べきか?改めて選択の時が迫っているのかもしれない。
                            令和6年3月31日




  人はなぜ絵を描くのだろう?        清水健一(旭美術協会 会友)

人には誰にでも忘れることができない大切な思い出がある。しかし日々の生活
に忙殺される中、こうした思い出も時間とともにどんどん色あせ、やがて消えて
いく。心に去来するのは諸行無常の思い。絵を描くということは、「この無常観
に対する人間の本能的な抵抗の一つの形」ではないか、と思う。
私は古い写真をもとにして、「家族の記憶」というテーマで絵を描いている。私
にとって絵を描くということは、記憶は薄れてしまっていても「過去に確実にあ
った忘れがたい大切な瞬間」を、時を超えて再び今によみがえらせ、純化させ、
そして永遠にとどめようとする試みと言えるかもしれない。
私の絵を見てほとんどの人は「写真みたいだね」、また絵を描く人たちは「スー
パー・リアリズムですね」、という。しかし、超細密画を描くこと自体が私の目
的なのではない。私の絵の基本は、人間が生物として生き抜いてくる中で磨き上
げられ、私たち誰もが持っている「視覚により対象物をとらえる力」に対する絶
対的な信頼のみ。いわゆる、芸術性などという抽象的な概念とは全く無縁。
絵の中の家内や息子、そして縁あって我が家の一員になった猫や犬などに「命を
吹き込みたい」と願って描いているうちに、結果として超細密画と呼ばれるよう
な絵が出来上がっていく。絵の中の家内や息子が私に向って微笑んだり、話しか
けてきたり、猫や犬の目やひげがピクンと動いたように感じる瞬間、私の脳内に
はドーパミンが放出され、快感が沸き上がる。脳はこの快感をしっかりと記憶。
そしてより大きな快感を求める脳に突き動かされ、ふと気が付いてみてば今日
も夢中になって絵を描いている私がいる。
                            令和6年4月17日




私の想うこと                 田中圭子(旭美術協会 会友)

 春の始まりの柔らかな色に包まれて、日ごと変わる空の色に心ときめき、絵筆を取り、
キャンバスに向う時に、随分前のこととなりますが、旭美展第一回目に入選し、大変嬉し
かった事が思い出され心踊りました。その后仕事が忙しくなり、旭美展からは遠ざかり、
定年退職を迎え心に余裕が生まれて、絵画教室に通い学び始めた頃、旭美術友の会を知り
入会、勉強会で刺激を受けて旭美展に応募し、旭美術協会賞、旭区長賞を受賞し現在に
至ります。
 私の描く絵は固定観念にとらわれない発想で若い世代の感性、感覚を取り入れヒントを
得て表現し描いています。これからは昨日までの自分を越えて進みたいとそんな気持ちを
常に持ち続けて、全ての出会いに感謝し感謝の思いを絵に表していきたいと願っています。
 又、日本の教育は子供達に美術館めぐりや鑑賞の仕方等の文化芸術活動に関する事が
欠如しているのではと感じています。その一端を旭美展は担っていますので継続していけ
たらと願います。
                            令和6年4月20日










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